写真工房こぐま

秋田市在住の超アマチュアカメラマンです。

きみまち阪を散歩3(秋田県能代市)

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Canon EOS-1VHS / EF35 F1.4L USM / FUJICOLOR SUPERIA X-TRA 400

7月に移転リニューアルした「道の駅ふたつい」に行ってきました。

ちょー混雑していて駐車場にクルマを入れるのに手間取って、

道の駅の全景を撮るのを忘れていました・・・。

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Canon EOS-1VHS / EF35 F1.4L USM / FUJICOLOR SUPERIA X-TRA 400

「歴史・民族資料コーナー」に展示されている「埋もれ木」。

樹齢千年と言われる秋田杉は、床下に透明なガラス越しに展示されています。

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Canon EOS-1VHS / EF35 F1.4L USM / FUJICOLOR SUPERIA X-TRA 400

 「天神様と八郎太郎」。

きみまち阪の「八郎太郎伝説」は、天神様と八郎太郎の力くらべのお話です。

ここで天神様に敗れた八郎太郎は永住の地である八郎潟に行き着くことになります。

田んぼアート(秋田県南秋田郡八郎潟町)

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Canon EOS-1VHS / EF35 F1.4L USM / FUJICOLOR SUPERIA X-TRA 400

八郎潟町国道7号線から少し入ったところにある「塞ノ神農村公園」。

ここ展望台からの「田んぼアート」が話題に上ったので行ってきました。

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Canon EOS-1VHS / EF35 F1.4L USM / FUJICOLOR SUPERIA X-TRA 400

ここでの田んぼアートは3年目だそうです。

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Canon EOS-1VHS / EF35 F1.4L USM / FUJICOLOR SUPERIA X-TRA 400

公園自体もきれいに整備されています。

お昼時でしたが沢山のお客さんがいました。お弁当を食べている方も。

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Canon EOS-1VHS / EF35 F1.4L USM / FUJICOLOR SUPERIA X-TRA 400

ここが田んぼアートの展望台です。

さっそく登ってみます。

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Canon EOS-1VHS / EF35 F1.4L USM / FUJICOLOR SUPERIA X-TRA 400

せっかくなので2階から額縁でパチリ。ちょっと斜めでしたね。

今年の田んぼアートは、ここ八郎潟町に古くから伝わる願人踊(がんにんおどり)。

秋田県指定無形民俗文化財の指定を受けているそうです。

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Canon EOS-1VHS / EF35 F1.4L USM / FUJICOLOR SUPERIA X-TRA 400

何種類かの苗で田んぼに絵を浮かび上がらせる田んぼアート

この展望台からの距離と角度から見たときに一枚の絵になるように、

1000カ所以上の測量結果を反映して植えられているそうです。

来年はどんな図柄になるのか楽しみですね。

八郎潟残存湖(秋田県潟上市)

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Canon EOS30D / EF-S17-85 F4-5.6 IS USM / ISO100

ここは「八郎潟」の南東に広がる通称「八郎潟残存湖」。

元々は琵琶湖に次ぐ国内2位の大きさで、北緯40度、東経140度の

経緯度交会点を中心に位置する「八郎湖」とも呼ばれる湖でした。

戦後の食糧難を受け、米の増産のために1957年(昭和32)から干拓工事を開始、

20年後の1977年(昭和52)に工事は終了して、約17,000haの広大な干拓

大潟村」が誕生しました。

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Canon EOS30D / EF-S17-85 F4-5.6 IS USM / ISO100

しかし、干拓が終わろうとした頃には、生産技術の著しい向上によって、

すでに減反政策が始まっており、その意義は微妙なものとなってしまいました。

この「八郎潟」、干拓後の現在でも国内18位の大きさを残しています。